みずおち整体
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自分という人間との付き合い方

ごくごく若い頃には考えもしなかったような事柄も意外な展開で悟れるようになっていくものかなと思う。もちろんいろんな教えやら影響されうる存在があって今の自分というものが形成されのだろうが。

時々自分と言う人間と付き合うことが難しくなってくることがある。

そんな時考えることは何故自分が不安になったりするのかということ。

誰かを探し求めているのだろうか?自分のすべてを受け入れてくれる人、自分を必要としてくれる人、最近共依存という言葉を聞いたことがあるが、自分もそのタイプだなと思うことが有る。もちろんそういうタイプだから今の仕事が続けられているのだろうけれど。

人は関係性の中で生かされているし生きている。その中でどういう心情とか愛情とかを育てていけるのかということなのだそうだ。

いつか自分は“私が出会った人々”という本か詩集でも作ってみたい。とも思っている。それほど私には感動的な出会いがあった。私はいろんな人の関係の中で育てられ、また自分という人間との付き合い方を教えていただいたような気がしている。

人に対しては、距離とか時間とか共有するものが限られているからごまかせるが、自分はいつも共に有るからこそ付き合いが難しいことも有るのだなと思う。

まずは自分と上手に付き合ってみることが私には修行のうちだと思っている。

死んだ後の世界は時間や空間がなく、心の世界だけらしいが、まさに逃げ場がなさそうだからいまのうちに精進しておかなくっちゃ。

人間関係 まずは相手ではなく自分との掛け合い上手になってゆかなくては始まらない。そして自分の存在の価値そのことの発見からスタートしてゆかなくては。とそんな気がしています。私の一番大切な神様の心情探しの旅もまだまだ続きそうです。

 

 小さな努力


  大きな事は

  初めからすぐには出来ないけれど

  小さな事の積み重ねだったら今の私にもできます。

  なにもできなくなって

  うずくまって泣き出しそうになったり

  立ち止まっているだけの時もあるけど

  前だけ向いていれば

  きっといつか

  また一歩を歩き出してゆける。

  そんな自分を信じてあげて。

  考えてみればこんな自分だって

  これまでだっていっぱい愛されてきた記憶だってあるはず。

  自分に投入されつづけた愛、

  そんな愛、忘れ去らないで。

  忘れ去ってしまえばあまりにもかわいそうな愛。

  自分より自分をもっと愛してくれた存在。

  そんな存在。今は目に見えなくなってしまっていても

  そんな存在が自分の中に発見できるはず。

  目に見える形で自分に注がれてきたはずの神様の愛。

  自分のこともっと見つめて。

  自分に投入された愛もっと発見して行く努力ぐらいは

  うずくまっていても立ち止まっていてもやってゆかなくっちゃ

  あまりにもかわいそうな愛。

  私に忘れ去られてしまった愛

  見つけ出して行く道。

  そしていつか誰かが

  この道を歩いていく事もあるのかもしれない。

  そんな時

  私も一緒に歩いていたいから

  今、私も負けないでいたい。      

  そんな私の小さな努力。 


(2001.4.1)

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